初めまして。「陽だまり」の主宰者・比嘉さやかと申します。まずはプロフィールをご覧ください。
・1985年12月15日:沖縄県で生まれる
・2017年5月〜 ヨガを学び始める
・2017年9月〜 フリーヨガインストラクター
・2018年6月:yoga house 陽だまりオープン
1985年12月15日:沖縄で誕生
結婚式場を営む父親と専業主婦の母親との間に3550グラムの大きな女の子として沖縄市で生まれました。
私の名前は4歳上の姉がいくつかの候補の中から「さやか」を選んでくれたそうです。
幼少期は一人遊びが好きでラジオやレコードを聴いたりこどもチャレンジに夢中になっているような子だったらしいです。
母が専業主婦ということもあり、お家で過ごすことが長かったように感じます。
4歳の頃に引っ越しして以来ずっと猫がそばにいる生活だったので大の猫好きになりました。
教育熱心な母からは毎日勉強!勉強!と口酸っぱく言われてましたので、自然と勉強をする習慣がついたと思います。
父はというと、仕事の忙しさからお家にいることは少なく、外食する日にいる特別な人感がありました。
お家にいるときは瞑想をしたり松の葉で頭をマッサージしたり裸足で芝生を歩いたりと健康オタクでしたので知らないうちに私は影響を受けていたと思います。
明るく前向きな一方でストレスを抱えていた小中高時代
小学生の頃を振り返ると、リーダーを任されることが多く、断れずに引き受けることが多かったです。
自由でマイペースな一方で責任感も強く、人より成長も早い子でした。
小6と今の身長が一緒!
思春期に入ると母とたくさんぶつかりました。
部活にたくさんの時間をかけ、その仲間たちと過ごすことを楽しんでいたから。
それでも勉強はしていたし、成績だって良かったのに母からは変わらず勉強しなさいと言われ続けていました。
そのときは何でこんなに言われないといけないんだろう。母は私のことを分かってくれない。話をしても通じない、
母の詮索も多々あり、姉も私もとてもストレスを感じていたと思います。
この経験から自分は理解してもらえない、人と分かりあうことは困難だという思い込みができあがり、本当に思っていることを伝えるのが怖かったり諦めてきたなと思います。
とは言えマイペースで前向きな性格だったことからお家以外の学校生活や友人関係は良好で楽しく過ごしていました。
大学進学と母の病気
福岡への大学進学を控えた頃、衝撃的な事実を知ることになりました。
母が長年、精神的に病んでいたということ。
それは入院に至るという最悪の結果とともに知ることになりました。
だから噛み合わない言い争いや理解できない言動、私の話を聞かないということが起こっていたことに気づきました。
このときの気持ちはもう何と言っていいのやら。早く知りたかったし、なぜこうなってしまったのかという自分を責めたくなる気持ちや何も気づかなかった父への怒りなどでぐちゃぐちゃでした。
そんな中、内地へと大学進学した私はカルチャーショックを受けます。
自己主張の激しい人や強引な誘いなど、これまで出会ったことのない人たちとの出会いにドン引きしてしまいます。
いかにこれまでが穏やかで平和でのんびりだったことかを思い知り、ホームシックになってしまいました。
それでも友だちと海外旅行に行ったり九州全土を制覇したりと大学生活を謳歌しました。
見聞を広げる時期だったのだなぁと思います。
大学卒業後は沖縄へ戻り就職
大学3年の春休みに就活の相談も兼ねて沖縄へ帰省した時、父より会社を手伝って欲しいと言われ、それを承諾しました。
なんとなくいつかは手伝う気がしていたので大学も経済学部経営情報学科を選んでいました。卒業してすぐ働くとは予測していませんでしたが。
ということで、大学卒業後、沖縄へ戻り父の経営する結婚式場で働き始めました。
社長の娘だからと言われたくなくて一生懸命働きました。
ですが、社会経験のない私が役に立つことは少なく、悔し涙を流す日も少なくありませんでした。
主な仕事はブライダルアドバイザーとして結婚式や結納、生年祝いや宴会など、お客様の接客から、当日までのサポートでした。
忙しかったですがやりがいもあり、とても楽しかったです。
ただ、家に帰れば「普通」ではない母親がいる。
仕事の忙しさに加え、お家でのストレスを解消できず、円形脱毛症になったこともあります。
その頃の私は「何のために働いているのか」、「今幸せか」など考える時間、体力、心に余裕もなく「考えない」ことを選択して淡々と生活していたように思います。
それなのに母に対しては普通になって欲しくて、自分にとっての「普通」を押し付けて母を変えようと躍起になっていました。
相談できる人がいなかったので、スピリチュアルな本に救いを求めていました。
そのおかげで少しずつですが、人を変えることは出来ない。自分が変わるしかないことを自覚していきました。
ヨガとの出会いそして転職
このままではマズイと思い、お家の近くの公民館でやっていたヨガに通いました。
先生は60代でゆったりとしたヨガだったのを覚えています。
ヨガの魅力は感じつつも忙しさから半年程で疎遠になってしまいました。
それから骨を埋める覚悟で入った結婚式場が閉館になり突然転職を余儀なくされたのです。
困ったことにやりたいことがない。
なのでとりあえず同業の会社に就職しました。
今度は父が不調になり、看病するために仕事をやめました。
自分の状況、両親の状況をみて、何のために私は生きてるんだろうと何度も考えましたが答えは出ず。
父が落ち着いたので役所の臨時職員を経て一般企業へ就職しました。
正直、仕事は面白くないし人間関係も良くないし毎日イライラもやもやしていました。
何のために生きてるんだろう
このままではマズイなと思って最初にやったことは占いです。占星術で適性をみたり、自分が何者なのかを自分以外のどこかに答えを求めていました。
それから少しずつ自分の内側に目を向け、本当にやりたいことは何かを問いかけ始めました。
この変わりたいというエネルギーが、前向きで楽しそうに仕事に励む人々との出会いを引き寄せ、その人たちとの関わりの中で、真底自分が望んでいることは「人を癒したい」という想いに気づくことができたのです。
そしてこれまでの仕事を振り返ったときに、自分にしかできないこと、私の替えはいないと自信を持って提供できる価値あることを仕事にしたい!そうだ!それはヨガだ!と確信めいた想いに辿り着きました。
また、直感的にイケると感じたことも決断の要因になりました。
仕事を辞め、ヨガのインストラクターに!
そこからはトップスピードで動きまくりました。
仕事を辞めることを会社に伝え、ヨガのレッスンに通い始めました。
不安がなかったかと言えば嘘になりますが、身体も柔らかい方でしたし、とにかくやるしかないという想いで必死でした。
それから1ヶ月休職してヨガの資格を取りにハワイに行きました。なぜハワイかというとずっと行きたい場所だったからです(笑)
このハワイでの経験は私にとても影響を与えました。
私が滞在したところはオーガニックファームが併設されたリトリート施設だったのです。
毎日採れたての新鮮なお野菜を食べて、ヨガを学び、規則正しい生活をしていると、便秘が解消され、毎日エネルギッシュでいられることを実感しました。
このようなリトリート施設を沖縄でもできないかと密かに思っています。
ハワイでのトレーニングでアーユルヴェーダについても初めて学ぶことができました。
パワーヨガ、陰ヨガ、アーユルヴェーダに詳しい先生だったのでそれらに自然と興味を持ちました。
帰ってきてから1ヶ月後には仕事を辞め、フリーのヨガインストラクター となりました。
決めてからここまで約4ヶ月です。我ながらパワフルですね!
フリーになってからは身近な人に顔が優しくなったと言われました。素直に嬉しかったです。
資格を取ってからも陰ヨガ、マタニティヨガ、ヨガニードラのティーチャートレーニングを受けてヨガを深めてきました。
最初は箱を借りてヨガを教えていましたが、落ち着ける場所があったらいいなと思った時に、祖父母の家が空いていることを思い出しました。
愛猫の存在とスーパーDIY
その頃、22年一緒にいた愛猫みーちゃんがこの手の中で息を引き取り、悲しみに暮れていた時に新たな相棒にゃん太郎が現れました。
にゃん太郎のおかげで次第に元気になった私はヨガ教室オープンに向けて動き出したのです。
まずは片付けから。
次にイメージを形にしていくために建築士のお友だちの力を借りてスーパーDIYをしました。
壁を剥がしたり、ペンキを塗ったりと結構な力仕事をお友だちが手伝ってくれて完成することができました。
思った以上の出来栄えに心が躍りました。
この空間は今でも大好きで、来てくれた人はもれなく癒されます。
ある人が、人が癒される場をつくることができるのも才能だと言ってくれました。
とても嬉しかったです。
手伝ってくれた友人たちには感謝です。
愛猫はこてつとクロスケが仲間入りして3兄弟になっています。
陽だまりオープンそして思わぬ事態が学びを深めるきっかけに
無事にオープンできた「yoga house 陽だまり」は順調な走り出しでさぁこれからもっと頑張るぞという2年目にコロナが流行したのです。
開店休業状態の中、今できることをしようと思い、心理学の勉強に熱中しました。
そのきっかけは恋愛がうまくいかないという悩みからでした。
心理学のスクールで心の発達段階について学び、自分の心の癖、思考の癖を知ることができました。
ヨガでは心の動きをコントロールすることが本来の自分と繋がることであり、アーユルヴェーダでは誤った記憶情報が病気の原因だからそれらをクリアにすることが大切だと説いています。
ヨガもアーユルヴェーダも心理学も、詰まるところ「自分を大切にすること」「自分と向き合うこと」なんだと。
宇宙エネルギーを扱うヒーリングも同じでした。
これらを学ぶことで「人生は自分次第」という言葉が腑に落ちました。
何のために生きているのかは、自分の外ではなく内側に答えがあると。
それでも悩み、苦しみ、頑張ることもあるし、流れにのってヒョイっとできちゃうこともある。
どんな経験も自分が選んでいるということを何となくでも受け入れられたら楽になるなぁと思います。
さやかだから提供できるものを目指して
そんなこんなで自分ととことん向き合った4年間を経て、自分を知ることが自分らしく生きることに繋がると確信したので、それを伝えたいと思い始めました。
それからアーユルヴェーダに関してもっと学びを深めようと講座を受講しましたし、ビジネスについても勉強しようと思って、ビジネススクールに通ったり、SNSマーケについても勉強しました。
たくさん寄り道をしてきましたが、それでもやっぱり多くの人に自分の人生を楽しんでほしいという想いが一番強いのです。
それには包括的な健康と自己肯定感が必須なので、この分野を広く伝えられたらいいなと思って今は活動をしています。
今後また興味が別のことに移ったりするかもしれない。
それでも私が一番楽しいと思うことをやって、自分らしく生きることをしていこうと思います。
気の合う仲間が増えていくのが楽しみです♪
お読みいただきましてありがとうございます。
経歴&資格
- 北谷第二小学校→北谷中学校→球陽高校
- 2004年 北九州市立大学へ
- 2008年4月〜2013年9月 結婚式場ソワ(ブライダルアドバイザー)
- 2014年10月〜2015年6月 宜野湾市役所臨時(都市計画課、企画政策課)
- 2015年7月〜2017年8月 省エネ関係の会社で営業担当
- 2017年5月〜 ヨガを学び始める
- 2017年7月 1ヶ月休職し、ハワイでRYT200を取得
- 2017年9月〜 フリーのヨガインストラクターへ
- 2018年6月〜 yoga house 陽だまり オープン
- 2019年5月 那覇市内の病院主催のヨガ教室講師
- 2019年11月〜 北谷町地域振興センター主催のヨガ教室講師
- 2024年7月 心身の健康とSNSマーケの講座をスタート
- 全米アライアンスRYT200 修了
- 陰ヨガTT 修了
- マタニティヨガTT修了
- ヨガニードラTT 修了
- マヤ暦アドバイザー修了
- PCA認定心理カウンセラー養成コース卒業
- アーユルケアリスト修了
陽だまりの場所
〒904-0035 沖縄県沖縄市南桃原4-40-7 (▶︎Googleマップはこちら)
猫がのんびりと過ごす小さな1本道の途中にアクアマリン色の門の「陽だまり」があります。